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中区栄一〜三丁目は、住居表示実施(昭和41年(1966年)3月30日)により成立。
中区栄四〜五丁目は、住居表示実施(昭和44年(1969年)10月21日)により成立。

町名の由来は、地区内の旧町名のうち、比較的知名度の高い栄町からとって「栄」とした。

江戸時代初期、慶長15年(1610年)以降の「清洲越し」によって、名古屋城下が整備された際、栄地区は城下の南東端にあたる地域であり、人家もまばらな地区でした。

明暦年間(1655年〜58年)頃から栄村(さこむら、のちの中村区栄生町)の住民がこの地区に店を出して商売をするようになり、「栄町」と称するようになった。読み方は「さこ」より「さかえ(る)」の方が縁起が良いので、栄を「さかえ」と読むようになりました。

1660年の「万治の大火」の後、碁盤割地区の南端、堀切筋の焼けた部分が拡幅されて、「広小路」と呼ばれる広い通りができました。

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明治4年(1871年)、本町筋と久屋町との間の広小路を「広小路片町」とし、同年「栄町」と改められました。

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栄村の方は、町になるとき、栄町と同じでは紛らわしいので、栄が生まれた町「栄生町(さこちょう)」となりました。