名古屋市では第二次大戦後、その戦災復興の計画は大規模なもので、街路や公園、運河の計画など様々なものがありました。


栄地区でも、そのような計画を実行するために、計画の支障となる建物の移動や解体が必要となりましたが、移動させる建物の中には、ビルのような大きなものも含まれていました。


ビルを動かすなんてあまり想像できませんね…

でもそのような大きな建物を実際にいくつも移動させています。すごいですね。



今回は、そのような大きな建物を移動させた事例を少し紹介したいと思います。




①滝兵ビルの移動

滝兵ビルは桜通と本町通の交差点の西北角にありました。

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(滝兵)名古屋市都市計画基本図(平成27・28年)
名古屋市都市計画基本図(平成27・28年)


このビルは昭和15年に建築され、鉄筋コンクリート造、地下1階、地上6階で総重量20,900tでした。

名古屋市の市バス(大型)の重量が約10tなので、バス2,090台分ですね。よくわかりません…


そんなビルの移動の方法として「曳家(ひきや)移転工法」、その中でも「総掘り移転工法」が用いられました。この工法は建物外周や移動する経路を掘削し、掘ったところにレールなどの移動装置を設置して地下部分を含めて丸ごと建物を移動させるものです。

図1



滝兵ビルはこの工法を使い、北へ8.6m、西へ2.3m移動させました。

(滝兵)名古屋市都市計画基本図(昭和30・33年)1
名古屋市都市計画基本図(昭和30・33年)


しかも、ビル内で営業しながらこの移動を行いました。信じられません…
そのため、ガス、電気、水道機能が継続できるように慎重かつ確実に工事が行われました。

この移動により、桜通と本町通にはみ出していた部分が収まり、道路の拡幅ができるようになりました。

(滝兵)名古屋市都市計画基本図(昭和39・43年)1
名古屋市都市計画基本図(昭和39・43年)




②朝日生命保険旧名古屋支社
朝日生命保険旧名古屋支社は現在の久屋大通の中心部、広小路通の南側に建っていました。戦後は米軍のダンスホールなどに使われていましたが、返還されました。

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(朝日)名古屋市都市計画基本図(平成27・28年)
名古屋市都市計画基本図(平成27・28年)

建物は、鉄筋コンクリート造、地上4階、地下1階、総重量3,600tでした。

滝兵ビルよりも小さな建物ですが、移転先が南へ200m、そこからさらに東へ移動した先にあり、全体で295m移動させなければならないという非常に大変なものでした。


この建物の移動には「切断移転工法」が用いられました。この方法は「総掘り移転工法」と違い、建物の地上部分と地下部分を切断し、地上部分だけを移動させる方法です。工事費の関係でこの工法を採用したそうです。

(朝日)名古屋市都市計画基本図(昭和30・33年)1
名古屋市都市計画基本図(昭和30・33年)


建物の移動装置や、途中で建物を回転させるための転動装置を設置しながら移転先まで移動させ、移転先に新設された地下部分とドッキングして完了しました。

(朝日)名古屋市都市計画基本図(昭和39・43年)1
名古屋市都市計画基本図(昭和39・43年)


栄地区でもこのような移転がいくつも行われています。
当時の相当な苦労の末、現在のようなまちの姿ができあがったんですね。




(参考:昭和59年3月30日 名古屋市計画局発行 「戦災復興誌」)